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2015.11.18

生物的な組織は逆境に強い‐“動的平衡”的組織とレジリエンス

皆様,おはようございます。レジリエンス研修講師,ポジティブ心理学コーチの松岡孝敬です。

最近,日本のスポーツチームの活躍が目覚ましいですね。W杯ラグビーの活躍,7人制ラグビーのリオ五輪出場決定,サッカーのW杯アジア予選,そして野球のプレミア12の活躍。強いジャパンを観るのは心地よいですね。ポジティビティが高まります。

プレミア12 ナンバー2

特にプレミア12のジャパンの活躍は素晴らしいですね。主軸の選手が不振だったり,けがで試合に出られなかったりしても,他のメンバーや主軸でない選手がその穴を補って余りある活躍をして勝ってしまう。二重三重の層構造が分厚くサポートしてチームを強靭化しているような印象を受けます。

かつてのジャパンナショナルチームには,あまりこのような多重補強構造はできていませんでした。野球に限らず,サッカー,バレーのナショナルチームも,主軸のレギュラーメンバーが固定されていて,主軸が一人でも欠けると,なかなかその穴を埋めてチームのパフォーマンスを維持できるサブメンバーがいませんでした。

その代表的な例は,「ドーハの悲劇」として有名な1993年のW杯サッカーアジア最終予選でのジャパンです。そのとき,左サイドバックのレギュラーだった都並敏史は左足首を骨折して出場できない状況でした。にもかかわらず,都並は当時のオフト監督から招集され,ドーハに向かいます。左サイドからの攻撃を脅威と見ていた対戦チームへ「都並はいつでも出場できる」と思わせたかったのでしょう。しかし,結局,都並は出場できず,代わりに何人かの選手が左サイドバックを務めましたが,都並ほどは機能せず,敗退しました。この一連のエピソードは,「狂気の左サイドバック」というノンフィクションに詳しく書かれてあります。

話は代わり,「動的平衡」という概念をご存知でしょうか?福岡伸一さんのベストセラーになった本のタイトルでもあるので,言葉だけはご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

私たち人間を含め,生物の体は常に物質代謝,エネルギー代謝を行っています。体を構成する物質はすべて常に入れ替わっています。つまり,今現在の私たちの体は,物質レベルでは,その短時間前の体と同じではありません。物質レベルでは,常に新たな物質が入れ替わって作られている新たな体なのです。このように物質レベルでは以前とは全く違う新たな構造体でありながら,以前となんら変わらない生物体としてふるまい,機能上も構造上も何ら変わることはありません。このような状態を「動的平衡」な状態といいます。

かつてアメリカの著名な組織経営学者,ピーター・センゲは,組織を機械としてみる捉え方と生命体としてみる捉え方の2つを紹介し,生命体のような組織の方がマネジメント力が高いと提唱しました。プレミア12でのジャパンチームは,主軸が抜けてもその穴を埋める選手が活躍してチームのパフォーマンスを崩さない,まさに動的平衡なチームで生命体のような組織を形成していますね。このような組織はレジリエンスも強く,逆境やピンチにも強いはずです。

動的平衡な組織を誤解して,組織レジリエンスを強化していないにもかかわらず,「うちは主軸がいなくても大丈夫」と勘違いして,主軸を排除して頭脳流出させ,結果,組織のパフォーマンスが著しく低下し,衰退していく企業も見られます。このような組織はご用心。

動的平衡でなくなった生命体は死を迎えます。動的平衡的でない企業・組織は…??

それでは皆様,今日もポジティビティ溢れる一日をお過ごしくださいませ(笑)

2015.11.2

「汝の敵を愛せよ」はやはり難しい-自分への許しとレジリエンス

皆様,おはようございます。

レジリエンス研修講師,ポジティブ心理学コーチの松岡孝敬です。

11月に入り,今年も2か月を切りました。一日一日を大事に過ごし,充実した一年にしたいものです。

さて,先日,テレビ「金スマ」を観ていると,ノートルダム清心学園理事長,渡辺和子さんの特集が組まれていました。

渡辺和子先生

渡辺和子先生のことは存じていましたが(ご著書は拝読していません),恥ずかしながら,ご尊父は陸軍大将で,二二六事件のとき渡辺さんの目の前で射殺されたとは知りませんでした。相当なトラウマを抱え,かつ乗り越えてこられた人生だったのだろうと若輩者の私にも想像できます。とてもレジリエンスの強い稀有な人物ですね。

番組の中で,特別印象に残ったエピソードがありました。渡辺先生は,聖書の教義でどうしても守れなかったものがあるとおっしゃられたのです。

その教義が,「汝の敵を愛せよ」でした。

なぜ私が,そのエピソードに特別な印象を持ったかというと,私も聖書の教義の中で,「汝の敵を愛せよ」がどうしても受容できなかったからです。

私は,36歳から41歳にかけて,とても辛いトラウマを抱え,そのトラウマが解消できるのではないかとの思いで,当時住んでいた場所の近くにあった教会の礼拝に,毎日曜日,通っていました。そこの牧師先生は,クリスチャンでない私を快く礼拝に迎え入れてくれました。

熱心に礼拝を重ねる私に対して,牧師先生は,何度となく,しかしながら強制することなく,自然の流れで洗礼を勧められました。クリスチャンになりなさいとおっしゃるのです。

ですが,私は,「汝の敵を愛せよ」がどうしても理解できず,それが理解できないままでは受洗できないとお断りしました。

牧師先生からは,その教義に対して優しく説教を受けましたが,私は頑固なのか思い込みが強いのか,なかなか納得できませんでした。そして,結局,受洗はしませんでしたが,変わらず礼拝への参加は快く迎えていただけていました。

渡辺和子先生の話に戻ります。「金スマ」の中で,渡辺先生は,かつて,テレビ番組の企画で,ご尊父を射殺した加害者の一人と,何の予告もなく対談をさせられたエピソードを披露されました。二二六事件のときの実行メンバーの将校の一人です。地位が低く事件の責任をそれほど負わなかったため,戦後も存命だったのでしょう。

そのとき,渡辺先生は,その加害者の元兵士と,どうしても打ち解けた会話ができなかった,許せなかった。つまり,「汝の敵を愛せよ」を守れなかったとおっしゃっていました。

渡辺先生ほどの素晴らしい方でも「汝の敵を愛せよ」が守れないのだから,自分なんて当然無理だよなあと思いつつ,そのときの渡辺先生の加害者に対する心境を聴いて,はっと気づきました。

加害者のことは今でもある意味許せないけど,「せめて相手の不幸を願わないことを心に留めて生きたい」と話されていました。

私ごときが渡辺先生の言葉を分析するのもおこがましいですが,渡辺先生は,「汝の敵を愛せよ」は守れないようで,加害者のことを既に赦されていると推察しました。そして,加害者に対する憎しみや憎悪といったネガティブ感情をコントロールし,相手の不幸を願わないといったポジティブな側面を捉えているようにも思いました。

さらに,渡辺先生は,加害者を許さない,愛さないといった自らの敬虔なクリスチャンとしての罪をも大局的に赦されていると感じました。

自分の行為を許せない,自分を愛せない人は,他人を許すことも,愛することもできません。

自分,失敗した自分,他人に憎しみ・憎悪を抱いた自分を許すと,意志力が高まり,レジリエンスが強化されます。

理解力の不足した私は,渡辺和子先生のお話を伺って,ようやく牧師先生の説教がわかりかけてきました。

「汝の敵を愛せよ」とは,自分自身の内面に生じた相手に対する敵愾心を受容し,赦し,愛せという意味なのではないかと。

敵に対する憎しみ・憎悪といったネガティブ感情を抱いた自分を受け止め,それを赦し,愛せということではないかと。

なので,ブログを愛読いただいている皆様も,もしひどい過ち・失敗を犯して後悔しているとき,罪悪感や悲しみを抱いているとき,許し難い怒り・憎悪を抱いているとき,そのような自分と自分のネガティブ感情を受け止め,深く反省・内省したうえで許してください。

そして,そのような状況のポジティブな側面を見つけ,見つめてください。そうすれば,利他心が芽生え,レジリエンスも強化されます。

それにしても,周囲には最近のテレビは面白くないから見ないと公言しながら,テレビネタで続けてブログを書く私はなんと一貫性がないのだろう。そんな言行不一致な自分も受容し,許容することにします。